
赤ちゃんロープトップの日記:
エントリー#2:私のロープ選び
によってカジラ・ブルー
2025年4月22日発行


1年弱前、マスターが持っていた麻のスプールからロープを切った。麻は私が教えるのに慣れているし、結び目を二重にしなくても十分な歯があるからだ。その頃、とても才能があり親切なロープ・トップが、マシュー・ウォーカー・ノットでロープの端をシールする方法を教えてくれようとした。私のロープの端のストランドは、彼女のロープに比べて緩すぎたのだ。初めてのロープには安全できれいな結び方を使いたかったのだが、私にはまだその腕前がない。
そのロープは何カ月もクローゼットの奥に山積みになっていた。私が個人的な人生の転機と格闘し、人間として不完全である自分自身と戦っている間、そこに座って待っていたのだ。自分の人生がどこへ向かっているのか、あるいは1ヵ月後の自分の人生がどうなっているのかについて、明確な考えがあったふりをするつもりはない。時々、私の周りですべてが衝突し、燃えているように感じる。少数の冷淡で深く見当違いの影響力のある人々の決断が、私がいつか訪れるだろうと期待していた美しい人生と未来を破壊しているように。もしかしたら、これが大人になり、世界が実際にどのように動いているのかを学ぶために感じていることなのかもしれない。もしかしたら、これは物事が常にそうであっただけなのかもしれない。この先もずっとこうだとは信じたくない。そして、ビンテージのボンデージポルノを買い続け、ジェンダー、セクシュアリティ、人間性の最も美しい表現を見るイベントに参加し、自分が信じる変態的な活動を支援する一方で、私がとても愛しているものすべてがいつか消えてしまうのではないかという恐怖を拭い去ることはできない。
これは最も高揚感のある精神的なウサギの穴ではないが、私の脳内ではよく踏まれている。

他人が何をしようが、何を考えようが、何を言おうが、私にはコントロールできない。自分の心の中で起こることさえコントロールできないと感じることもある。でも、自分がすることはコントロールできる。そして私は、変態的で、セクシーで、愚かで、私を人間的で、この世界の他の人間たちとのつながりを感じさせてくれるものを守り、大切にしたい。私は、私にインスピレーションを与えてくれる変態アーティストたちに資金面で貢献し続け、新しいロープのような人たちを教え、高揚させ続け、私自身の変態的な人生を開拓していく。そして自分の変態ライフを開拓していく。私のすべてを。そしてそれは、またこの怖い旅に出ることを意味する。それは無防備になることであり、人々に身体と時間と信頼を貸してもらうことを意味するから怖い。怖いというのは、すぐに何かが上手にできるわけではなく、初心者であることの不快感と戦い続けることを意味するからだ。偽者」「無価値」「誰もあなたと結ばれたいとは思わない」とささやく頭の中の声に立ち向かうために自分を追い込むことを意味するから怖いのだ。
でも、再挑戦の怖さに負けるつもりはない。今回は違う。
この文章は、カジラ・ブルーによる「ベイビー・ロープトップの日記」というシリーズの一部である。 TheDuchy.com/ブログ.